江戸時代の森の知恵:森林と人々の暮らしを支えた歴史
日本の森の歴史と人々の暮らし
日本の国土の約67%は森林に覆われています。この豊かな森は、昔から人々の生活と深く関わってきました。森を守り、育て、活用する知恵は、江戸時代から続く森林政策によって培われてきたのです。
今回は、徳川林政史研究所の研究員である萱場真仁氏に、江戸時代から明治時代にかけての森林政策と人々の暮らしについてお話を伺いました。特に弘前藩における森林管理の事例を通して、森と人の関係がどのように変化してきたのかを探ります。
日本で唯一の民間林業史研究機関
徳川林政史研究所は、1923年に尾張徳川家第19代当主の徳川義親によって設立されました。東京都豊島区目白にあり、日本で唯一の民間林業史研究機関です。
この研究所では、尾張藩の森林管理に関する資料を中心に、日本全国の森林と人々の歴史を研究しています。江戸時代の森林政策は、今の環境保護や持続可能な資源利用にも通じるものがあり、その知見は現代にも活かされています。
萱場真仁氏が探る 森と地域社会の歴史
萱場さんは、江戸時代から明治時代にかけての森林と地域社会の関係を研究しています。もともとは百姓一揆の研究からスタートしましたが、山をめぐる争いに着目するうちに「人々にとって山とは何か?」という問いにたどり着きました。
特に弘前藩の森林政策と人々の森林利用について深く調べており、森がどのように管理され、活用されてきたのかを明らかにしています。
弘前藩の森林政策とは?
江戸時代の弘前藩では、森林は単なる資源ではなく、人々の生活を支える重要な存在でした。その背景には、名君と称された藩主・津軽信政の政策が大きく影響しています。
津軽信政は、儒学者・山鹿素行の影響を受け、五行説(木・火・土・金・水)に基づいた森林管理を進めました。特に「火」の重要性を説き、それを支える「木」がいかに大切かを強調していたのです。
また、弘前藩では森林を水源涵養(かんよう)のために活用し、防風林としての役割も果たしていました。このように、森林は単なる木材の供給源ではなく、地域全体を支える機能を持っていたのです。
木曽山と北前船の関係
木曽山の木材は、幕府や尾張藩の御用材として厳しく管理されていました。伊勢神宮の建築材にも使われるほど貴重で、一般の商人が自由に伐採することはできませんでした。
よく知られる「河村瑞賢が木曽山から材木を切り出して北前船で運んだ」という話も、実際の資料には確認できないそうです。明暦の大火(1657年)後の復興において、木曽山の木材が重要だったのは事実ですが、瑞賢が関与したかどうかは不明です。
森と人の未来
江戸時代から続く森林管理の知恵は、現代の環境問題や持続可能な森林利用にも多くの示唆を与えています。例えば、水源涵養や防風林の役割は、今も変わらず重要です。
また、当時の森林政策は、地域社会と深く結びついており、単なる資源管理ではなく、人々の暮らしや文化を支える役割を担っていました。
私たちが未来の森林を考えるとき、江戸時代の森と人の関係から学ぶことがたくさんあるのではないでしょうか。
ゲストプロフィール
萱場真仁(かやば まさひと)氏
公益財団法人徳川黎明会徳川林政史研究所の研究員。専門は近世・近代の森林と地域社会の関係史。元々は百姓一揆の研究からスタートし、現在は江戸時代から明治時代にかけての森林政策と人々の森林利用について研究している。特に、本州最北端に位置する弘前藩の森林政策と地域社会の関わりを中心に取り組んでいる。著書に『近世・近代の森林と地域社会』がある。
関連リンク
※写真は、木曽路(中山道)の奈良井宿
